「北海道に本気で向き合わなければ」ファイターズでの挑戦【前日本ハム球団社長・藤井純一氏#3】
現在、日本のプロ野球界で実に効率的なチーム作りをしているのが北海道日本ハムファイターズである。東京から北海道へ移り、地域密着に成功した球団の土台を築いた一人が藤井純一前球団社長だ。これまでの藤井氏の話を聞くと、「負けない」ファイターズ、「集客力のある」ファイターズの土壌が見えてくる。
2015/08/20
ドイツ名門クラブのバイエルン・ミュンヘンで勉強の1カ月
縁とはひょんなきっかけから始まることがある。
セレッソ大阪とドイツの名門バイエルン・ミュンヘンを繋いだのは日本ハムの本業だった。
藤井の柔らかい関西弁の中に、まるで近所の商店街の親爺の話題をするかのような調子で、元西ドイツ代表の名選手の名前が出てきた。
「ウリ・ヘーネスの実家がハム屋さんらしくて、ヨーロッパのハム屋さんの紹介で彼に会った。それでチームの状況はこうなんやけど、どうしたらええんやという話をしたら、一遍見に行くわと。それで京都パープルサンガとの試合を観にきたんです」
1952年生まれのウリ・ヘーネスは西ドイツ代表として74年ワールドカップ優勝している。引退後はバイエルン・ミュンヘンのゼネラル・マネージャーに就任した。現在のバイエルン興隆の最大の功労者である。
「ヘーネスとユースチームのトップだったケルンの二人がセレッソの試合を見に来てくれたんです。それで、1カ月間、バイエルンのやり方を教えるので、スポーツ部門とマーケティング部門の人間を寄こせと言ってきた。それで大西さんとぼくが行ったんです」
そこでセレッソ大阪の統轄専任部長だった大西忠生、通訳と共に藤井はドイツに向かったという。
「朝9時に来いというから、学校に行くみたいに駅前の汚いホテルから15分ぐらい歩いて毎日クラブに通っていました。今日は総務と、次の日はマーチャンダイジング、その次の日はITの人という感じで朝から晩までミーティングをしていました。〝わかっているんかぁ〟ってドイツ人から机を叩かれて、毎日クラブに向かうのは気が重かった。大西さんと二人で暗い顔して毎日通っていました」
この当時のバイエルンは93・94年シーズンでリーグ優勝、95・96シーズンにはUEFAカップを獲得している。
クラブの中心選手は、ドイツ代表のゴールキーパー、オリバー・カーンだった。
「大西さんは一生懸命色んな選手からサインを貰ったり、写真を撮ってもらったりしていたけど、ぼくは全然興味がなかった」