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「北海道に本気で向き合わなければ」ファイターズでの挑戦【前日本ハム球団社長・藤井純一氏#3】

現在、日本のプロ野球界で実に効率的なチーム作りをしているのが北海道日本ハムファイターズである。東京から北海道へ移り、地域密着に成功した球団の土台を築いた一人が藤井純一前球団社長だ。これまでの藤井氏の話を聞くと、「負けない」ファイターズ、「集客力のある」ファイターズの土壌が見えてくる。

2015/08/20

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赤字体質だったセレッソ大阪の黒字化に成功

 当初はバイエルンのセレッソに対する好意の形で始まったこの関係は、翌年から正式な提携契約を結ぶことになった。
 
「提携といっても、選手のやりとりはしないという契約。マーケティングだけの提携。多いときは年に3回ぐらいミュンヘンに行っていました。ばっちりノートは取ってあります。ノートは5冊、その他、資料が段ボール箱一つぐらい」
 
 藤井は正直で率直な男だ。自分の無知を恥じることはなく、分からないことは全て聞いた。そしてバイエルンの人間はそれに答えてくれた。
 

 彼は2000年に藤井はセレッソ大阪社長となり、2003年度には1億以上の黒字を出している。
 黒字の決め手となったのは、当時中田英寿が所属していたイタリアのセリエAのパルマを招聘した親善試合だった。
 
 通常こうした親善試合は、エージェントが間に入るのだが、藤井は直接交渉に拘った。ホテル、移動のバスも全てセレッソの社員が直接手配している。
 
 2004年シーズン終了後、藤井はセレッソ大阪から日本ハムに戻った。
 
 本社ではスポーツマーケティング担当部長という職が用意されていた。ただ、近い将来、ファイターズのほうへ行くことになるだろうという予感はあった。2004年からファイターズは北海道に本拠地を移していた。

 月に1回程度は、会議で札幌を訪れていた。札幌ドームにも足を運んだこともある。ただ、もっと北海道を知りたい、そう考えた藤井は休暇を利用してレンタカーで札幌から夕張、芦別などを回った。
 
 北海道は街と街の距離がある。先達の人たちが苦労をして開拓したことを改めて感じた。そして出会う人たちから、開拓者精神があった。
 そんな文化を受け継ぐ北海道の人は独立心が旺盛である。自分のような関西人は嫌われるだろう。受け入れてもらうには、本気で向き合わないと駄目だ、と思ったのだ。

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