「ファンを恐れない」球団黒字化への道【前日本ハム球団社長・藤井純一氏#4】
現在、日本のプロ野球界で実に効率的なチーム作りをしているのが北海道日本ハムファイターズである。東京から北海道へ移り、地域密着に成功した球団の土台を築いた一人が藤井純一前球団社長だ。これまでの藤井氏の話を聞くと、「負けない」ファイターズ、「集客力のある」ファイターズの土壌が見えてくる。
2015/08/21
藤井が行ったさまざまな改革の成果
野球の人間関係はより濃い――。
「サッカーの場合はプロの歴史が短い。大御所といってもアマチュア時代の人。野球の大御所は、極端な言い方をすれば特権階級のようなところがある」
ファイターズの監督、コーチ、スタッフの採用はあくまでも能力重視である。球団のOBから、どうしてファイターズ出身の元選手を雇用しないのかと言われたこともあるという。
「コーチでも選手と夜遅くまで飲みに行ったというのが分かると切る。門限破りをコーチ自身がやらせたと分かったのでクビにしました。もちろんその判断は吉村さん。そういう問題があるんだったら、しゃーないねって。ぼくは基本的に、重大な問題を起こす人間は、繰り返すと思っている人です。更正は難しい」
規律を破った人間は罰するという至極当たり前のことを徹底し、チームは引き締まった。
フロント側でも風通しのいい組織を作るため、藤井は異動は頻繁に行った。様々な部署を経験することによって、相互理解を深めることができると考えたのだ。
以前は、球団オフィシャルグッズは代理店に委託し、ロイヤリティ収入を得ていた。藤井は、球団内部で企画から販売、商品管理まで手がける形にした。在庫を抱えるリスクはあるが、利益率が倍以上になる。
また、現役を引退した選手が子どもたちを教える、「ベースボールアカデミー」も開設した。同様の野球教室は存在していたが、ボランティアに近い形だった。
我々のやっていることは、元プロ選手が教えるという価値のあるものである。きちんとお金を払ってもらって、教えたほうが価値が高まる。藤井の考えに対して、社員からは、反対の声もあった。実際に募集を掛けると定員はすぐに埋まった。
藤井は、お金をとっているからこそ、教える側の態度が変わるはずだと考えたのだ。
こうした積み重ねで2007年度、ファイターズは初めて黒字を出した。
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藤井純一(ふじい・じゅんいち)
1949年大阪府生まれ。近畿大学農学部水産学科卒業後、日本ハムに入社。1997年、Jリーグクラブのセレッソ大阪(大阪サッカークラブ株式会社)取締役事業本部長に就任、2000年に同社代表取締役社長。2005年、株式会社北海道日本ハムファイターズ常務執行役員事業本部長に就任。翌年から2011年まで代表取締役社長(06、07、09年にリーグ優勝、※06年は日本一)。現在は近畿大学経営学部特任教授を務める。
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