「選手の価値評価が球団利益に」BOSシステム開発の背景【前日本ハム球団社長・藤井純一氏#6】
現在、日本のプロ野球界で実に効率的なチーム作りをしているのが北海道日本ハムファイターズである。東京から北海道へ移り、地域密着に成功した球団の土台を築いた一人が藤井純一前球団社長だ。これまでの藤井氏の話を聞くと、「負けない」ファイターズ、「集客力のある」ファイターズの土壌が見えてくる。
2015/08/23
若い選手は試合に出ないと巧くならない
また、一軍と千葉県鎌ヶ谷に本拠地を置く二軍をはっきりと区別していることもファイターズの特徴だ。多くの球団では、二軍の試合に一軍から溢れた選手がプレーしており、若手の出番が結果としてなくなっている。
「ぼくがファイターズに来たばかりのころ、ドラフトで獲った選手が全然二軍の試合に出ていなかった。これではあかんと。それで2004年、2005年で年をとった選手をばっと切って、若い人ばっかりにした。そして新人が入ってきたらすぐに試合に出られるという形にした」
この方針は吉村が決めたものだった。
藤井は吉村からこう説明を受けたのだという。
――若い選手は試合に出ないと巧くならないんです。
その言葉を聞いて藤井は、バイエルン・ミュンヘンで見たBチームを思いだした。
「Bチームにはアマチュアの選手もいる。トップチームと同じシステムで、上に怪我人とかが出たら、すっと持って行けるようにしている。それと同じで二軍は当然教育しないといけない。ぼくにとって吉村さんの方針は違和感はなかったですね」
新入団選手がすぐに二軍の試合に出られるというのは当たり前のことではあるが、それがなかなか実現しなかったのも日本のプロ野球である。
さらに、二軍の選手の私生活にも目を光らせる。
「二軍は勉強会をしょっちゅうやっています。講演会とか。二軍の選手が一軍に呼ばれて講演会に出られない場合はビデオを観させる。それで感想文を書かないといけない」
藤井はファイターズには問題児が来ても、それなりに育てることができるはずだと胸を張った。
現在、社長を退任して球団を離れているが、現場に関しては心配はないと考えている。
「毎年優勝に絡めるかどうかはわからないにしても、しっかりしたビジョンがあれば成績のばらつきは少なくなる」
スポーツに関わる人間は、競技経験があるか、その競技が好きで仕方がなかった人間ばかりだ。その中で野球にもサッカーにも興味がなかったと言い切る藤井は異質の存在だった。
それでもスポーツビジネスは面白いと藤井は言う。
「勝ったり負けたりはぼくの力でコントロールできひん。でもビジネスはコントロールしようと思ったらできる」
冷静に競技を見つめた人間だったからこそ、永続的な球団を作り上げることができたのだろう。
連載おわり
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藤井純一(ふじい・じゅんいち)
1949年大阪府生まれ。近畿大学農学部水産学科卒業後、日本ハムに入社。1997年、Jリーグクラブのセレッソ大阪(大阪サッカークラブ株式会社)取締役事業本部長に就任、2000年に同社代表取締役社長。2005年、株式会社北海道日本ハムファイターズ常務執行役員事業本部長に就任。翌年から2011年まで代表取締役社長(06、07、09年にリーグ優勝、※06年は日本一)。現在は近畿大学経営学部特任教授を務める。
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