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最も多く犠飛を打ったのは誰? 「ON砲」、戦後初の三冠王もランクイン…NPB、通算犠飛数ランキング1〜5位。【プロ野球歴代最高記録】

2021/05/20

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4位:大ケガを機に変貌遂げた小柄な大打者

門田博光 95犠飛(実働期間1970-1992)
生年月日:1948年2月26日
身長/体重:170センチ/81キロ
投打:左投左打
経歴:(天理高-クラレ岡山-)南海-オリックス-福岡ダイエー
 
 170センチの小柄な体格から、40歳を超えても衰え知らずの長打力を見せていた門田。犠飛では歴代4位にランクインした。

 門田は、クラレ岡山から1969年ドラフト2位で南海に入団。2年目の71年にレギュラーの座を掴んで以降は、78年までに打率3割以上を5度記録するなど中距離タイプの好打者として活躍した。
 
 長距離砲となったきっかけは、79年に負った右足のアキレス腱断裂。選手生命も危ぶまれる大ケガだったが、懸命のリハビリの末に復帰を果たし、81年に44本塁打で初の最多本塁打に輝いた。以降も結果を残し続け、40歳で迎えた88年シーズンには、打率.311、44本塁打、125打点、出塁率.429をマークして最多本塁打、最多打点、史上最年長で最優秀選手となった。
 
 犠飛数はプロ入り当初から多く、76年から2年連続リーグ最多犠飛を記録。打撃スタイルの変更後は意外にもペースを落としたが、南海最終年の88年に自己最多タイとなる10本の犠飛を放った。

【次ページ】世界の本塁打王
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