弱者が強者に勝つ――宮崎敦次、グラブの刺繍に込めた恩師への想い【マリーンズファーム通信#5】
一軍での活躍を夢見て、日々二軍の浦和球場で汗を流す選手を、マリーンズ広報がクローズアップする連載『マリーンズ浦和ファーム通信』。第5回目は、8月に二軍戦で初勝利をあげた、ドラフト6位ルーキーの宮崎敦次投手だ。
2015/08/31
画像提供:千葉ロッテマリーンズ
高校では野球を続ける意志はなかった
1本の電話が人生を変えた。
ルーキーの宮崎敦次投手はロッテ浦和球場での二軍戦の試合後、トレーナー室で治療を受けながら懐かしそうに当時を振り返った。下関国際高校に入学した4月のこと。中学校までは軟式野球の補欠一塁手。だから高校で野球を続けようという意志はまったくなかった。特に部活動に入るという思いも湧いてこない。学校の授業を終え、自宅に帰宅すると1本の電話がかかっていた。
「あの電話がなかったら、今の自分はない。本当に縁というか運命です。今もその感謝の気持ちは忘れません」
高校野球部の坂原秀尚監督からだった。当時の野球部は3年生8人、2年生が2人。新入生が入るこの時期に監督は必死に勧誘をしていた。とりあえず、新入生男子で中学までに野球経験のある生徒に、片っ端から電話を入れているとのことだった。その熱心な誘いに心を動かされた宮崎は軽い気持ちでグラウンドに見学にいった。
投手をしたことがなかったが、とりあえずブルペンで投げさせられた。「今までなにをしていたんだ?いい球じゃないか!」。その一言に気持ちを乗せられた。同級生も3人。試合に出る機会も多かった。中学時代までは補欠しか経験したことがなかっただけに、とにかく毎日が楽しかった。
1年夏、徳佐高校を11-1で破り、12年ぶりに一回戦を突破したが、二回戦では山口高校0-11でコールド負けをした。自身の外野を守っていた際に目測を誤るエラーや、バント失敗が重なっての敗戦。それまでは、ただ楽しんで野球をやっていた。しかし、3年生たちが涙をしている姿を目の当たりにして、その考えを悔いた。
「あの時に意識を変えた。野球をただ楽しんでやっているだけでは駄目だと。上級生が泣いている姿を見てそう思いました。自分の甘さを反省し、必死に全力で野球と向き合って、取り組んでいかないといけないと思った」