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タグ:急逝の記事一覧

元ヤクルト監督・関根潤三氏、死去。日本ハム・栗山英樹監督も恩師の訃報に「本当の恩人でした」

2020/04/09

 ヤクルトスワローズなどで指揮を執った関根潤三氏が9日、死去した。この訃報に、北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督がコメントした。    栗山監督のコメントは以下の通り。 「関根さんとの思い出は何時間でも語れるほどお世話になりました。「関根監督」の存在がなければ、現在の私はいないと思っています。大した選手ではありませんでしたが、起用し続けていただきました。人を育てることの意味、人を育てるということはどういうことかということを、身をもって教わりました。本当の恩人でした。関根さんの思いを継いで、しっかりとやっていかなければいけないと、あらためて強く決意しました」    関根 ... 続きを見る


ヤクルト・高津臣吾監督、野村克也氏の逝去に涙「全てが良い思い出」 楽天時代の教え子・嶋基宏も「一番大きな存在」

2020/02/12

昨年7月にはOB集ったイベントでバット握る姿  東京ヤクルトスワローズは11日、野村克也氏が亡くなったことを受けて、沖縄・浦添市で行われている春季キャンプの全体練習で選手、コーチ、スタッフが野村氏のご冥福を祈り黙とうを捧げた。球団公式サイトが伝えている。    野村氏は1990年から1998年にかけての9年間ヤクルトの監督を務め、4度のリーグ優勝と3度の日本一に導いた。「ID野球」を掲げながら選手の能力を伸ばし、チームの黄金期を築いた。昨年7月には球団OBが集った「Swallows DREAM GAME」でも自らバットを握り、古田敦也氏らかつての教え子とともに打席に立つなど元気な姿を ... 続きを見る


田中将大、楽天時代の恩師・野村克也氏の訃報に哀悼の意「出会い、ご指導は最大の幸運」

2020/02/11

プロ1年目から指導受け成長の礎に  ニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手が11日、野村克也氏の訃報を受けて自身のツイッターを更新した。プロ入り1年目から指導を受けた恩師に対して、哀悼の意を表している。    田中は駒大苫小牧高を経て2006年ドラフト1位で東北楽天ゴールデンイーグルスに指名され入団。当時監督だった野村氏の指導の下、プロ1年目から先発として1軍マウンドを経験した。そして1年目(2007年)から11勝を挙げる活躍を見せると、2年目(2008年)に9勝、3年目(2009年)に15勝を挙げ、野村氏が監督を務めている期間は計35勝をマークした。    この野村氏との ... 続きを見る


エンゼルス、球団職員が急逝スキャッグスさんに薬物提供 遺族ショック「どのように支配されたか追究」

2019/10/13

球団広報部長のエリック・ケイ氏が長年にわたり…  ロサンゼルス・エンゼルスの元投手で7月に急逝したタイラー・スキャッグスさんについて、球団の広報部長が禁止薬物で麻薬性鎮痛薬のオキシコドンを提供していたことが分かった。米スポーツ専門サイト『ESPN』が12日(日本時間13日)に伝えている。    スキャッグスさんは7月に遠征先のテキサス州のホテルで死亡。検死報告では、オピオイドに分類される禁止薬物である麻薬性鎮痛薬のオキシコドンとフェンタニルの摂取が認められ、アルコールとともに摂取したことで死に至ったとされている。    そして、同サイトでは、球団広報部長のエリック・ケイ氏が ... 続きを見る


エンゼルス、急逝したスキャッグスさんの死因が判明 指揮官が胸の内明かす「心が痛い」

2019/08/31

アルコールと薬物の組み合わせによるものと現地検察が発表  ロサンゼルス・エンゼルスで将来を有望されながら7月に27歳の若さで急死したタイラー・スキャッグス投手について、現地の検察局が死因について発表した。米公式サイト『MLB.com』が30日(日本時間31日)に伝えている。    米テキサス州タラント郡検察局が発表した毒物学報告書によると、スキャッグスさんは「アルコール」とともに鎮痛剤の「フェンタニル」、「オキシコドン」を服用していたことが判明。そして、それらが胃の中で組み合わさった上で死に至ったという。    エンゼルスのビリー・エップラーGMはこの報告を受けて「我々は悲 ... 続きを見る


エンゼルス左腕スキャッグス急死 他球団からも悲痛な声「心の中に永遠に生き続ける」「人生は予測不可能」

2019/07/02

Dバックス時代の同僚バウアー、殿堂入りジョーンズなど  ロサンゼルス・エンゼルスのタイラー・スキャッグス投手が1日(日本時間2日)に27歳の若さで急死し、球界の選手たちをはじめ多くの人々に悲しみが広がっている。    スキャッグスは1日から始まる敵地でのテキサス・レンジャーズ戦を控えテキサス州サウスレイクのホテルに宿泊したが、午後になって部屋からの反応がなく、その後死亡が確認された。    エンゼルスとMLB機構はすぐさま声明を発表し、追悼の意を表した。また、他球団の選手たちもSNSを通じて続々と球界の仲間を追悼するメッセージを発信している。   ◇トレバー・バウ ... 続きを見る


「お前ら悔しくないのか!」。今の選手、監督にも怒り…江本孟紀氏が語る人間・星野仙一

2018/03/20

 野球評論家の江本孟紀氏は、2018年1月4日すい臓がんのため70歳で亡くなった星野仙一氏と長年にわたって交流があった。選手を叱咤激励し続けた星野氏について旧知の江本氏にはどのように映ったのか。3月22日に『僕しか知らない星野仙一』を上梓した江本氏が客観的に分析する。... 続きを見る


阪神、3・10の星野氏の追悼試合で背番号「77」ユニを着用

2018/02/05

 阪神タイガースは5日、先月死去した星野仙一氏の追悼試合(3月10日・阪神甲子園球場、オープン戦対中日ドラゴンズ)で、哀悼の意を表して、監督・コーチ・選手が背番号「77」のユニホームを着用すると発表した。    当日着用するユニホームは、星野氏が監督を務めた2002~03年シーズンのデザインとなる。試合前には場内ビジョンで追悼映像を放映し、黙とうを行う。両チームの監督・コーチ・選手は喪章を着用し、両球団の球団旗は半旗を掲げて試合を行う。    10日、11日の午前10時から午後3時まで、球場外周ミズノスクエアには献花台が設置される。... 続きを見る


星野氏訃報に長嶋氏「あまりにも突然の事で本当に残念」、原氏「現役、監督で戦うことができたのは私の誇り」

2018/01/06

 楽天の星野仙一球団副会長の訃報を受け、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督、原辰徳球団特別顧問、高橋由伸監督が6日、球団を通じてコメントを発表した。   長嶋茂雄 終身名誉監督 「あまりにも突然の事で本当に残念でなりません。昨年11月に開かれた仙ちゃんの『野球殿堂入りを祝う会』で『これからも野球界のために力を貸して』とメッセージを送ったばかりです。『打倒巨人』を前面に闘志満々でぶつかってきた投手だったからこそ、私も負けずに『さあ仙ちゃん、来い』と心を燃やすことができ、対戦するのが本当に楽しみでした。監督としても多大な実績を残され、さらなるご活躍を期待していました。ご冥福をお祈りします」 &n ... 続きを見る


栗山監督、星野氏との思い出を語る「野球界に恩返しをしろと」、「何しとんじゃと叱咤激励」

2018/01/06

 北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督、岡大海外野手が6日、球団を通じて星野仙一氏の突然の訃報に哀悼のコメントを寄せた。    栗山監督は、「本当にショックで、何も言葉がありません。現役引退後から星野さんに大変お世話になってきました。海外へ取材で同行した際には、部屋へ招いていただき、いろいろなことを勉強させてもらいました。キャスター、評論家時代には『お前、誰のお陰でメシを食えてると思ってんじゃ。(球界復帰し)野球界に恩返しをしろ』と言われていたことを覚えています」と、自身監督就任前の星野氏との思い出を振り返った。    また、「監督としても教わることは多かったです。苦し ... 続きを見る


マー君、星野仙一氏の訃報に「突然のことで信じられない」 三木谷氏「功績は語り尽くすことが出来ない」

2018/01/06

 ニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手、楽天球団のオーナーの三木谷浩史氏が、6日に星野仙一氏の訃報を受けて、自身のツイッターを更新した。    2013年の楽天の初優勝時には自身も24勝0敗と大車輪の活躍で星野監督の胴上げに貢献。田中は、「あまりに突然のことで信じられません。楽天イーグルスで日本一になり、星野監督を胴上げできたことは、僕の野球人生の大切な思い出です。」と当時の思い出を振り返り、「メジャーでプレーすることを応援してくださいましたし、感謝の気持ちでいっぱいです。心よりご冥福をお祈りいたします。」と投稿した。   また、楽天の代表取締役会長兼社長で、球団オーナー ... 続きを見る


星野仙一氏、70歳で死去 最後の最後まで野球に情熱を燃やす

2018/01/06

 中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の監督を務めた星野仙一氏が4日、死去した。70歳だった。楽天球団が6日に発表した。    星野氏は倉敷商高から明大を経て、1968年にドラフト1位で中日に入団。1年目から先発・中継ぎとして活躍し、8勝9敗、防御率3.12の成績。1974年には巨人の10連覇を阻止する大活躍で、15勝9敗10セーブ、防御率2.87で沢村賞と初代最多セーブに輝いた。通算146勝121敗34セーブ、防御率3.60の成績を残し、1982年に現役を引退した。    引退後は解説者などを経て、1986年オフに中日の監督に就任。熱血漢として知られ、「燃え ... 続きを見る




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