日本代表に”悲劇”…歴代WBCで無念の途中離脱となった5人。けがに泣いた選手たち
2023/03/20
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村田修一
出身:福岡県
投打:右投右打
身長/体重:177cm/92kg
生年月日:1980年12月28日
ドラフト:2002年ドラフト自由枠
WBCで歓喜と悲劇の両方を経験したのが、主砲として活躍した村田修一である。
村田は日本大学からドラフト自由枠で横浜ベイスターズに入団。ルーキーイヤーは打率.224と確実性に課題を残したが、25本塁打を放つなど長打力は光っていた。
その後は順調に成績を伸ばしていき、2007年に自身初となる本塁打王(34本)を獲得。翌2008年は北京オリンピックの代表に選ばれたため、離脱期間があったにもかかわらず、打率.323・46本塁打・114打点という圧巻の数字を残した。
日本を代表するスラッガーとなった村田は、2009年の第2回WBCでも日本代表入り。まずは初戦の中国戦でホームランを放つと、韓国戦では相手エースのキム・グァンヒョンからアーチを描き、勝利の立役者となった。
その後も4番打者としてチームを牽引していたが、アメリカで行われた2次ラウンド・韓国戦の走塁中に右太ももの肉離れを起こし、無念の離脱。WBCを完走できずに終わった。
それでも残されたメンバーが奮闘し、日本は大会連覇を達成。村田の存在は間違いなくチームに欠かせないものだった。