江夏、平松、土井、田淵ら……殿堂入りしていない名選手たち
引退後44年を経て殿堂入りを果たした「安打製造機」榎本喜八が話題となっているが、未だ殿堂入りできていない名選手は数多い。投手では江夏豊や平松政次、野手では土井正博や田淵幸一らの名前が「野球の殿堂」に飾られていない。
2016/01/20
ライオンズの大砲を育てた名伯楽も
野手で殿堂入りを果たせていない選手のうち、最多安打は2452本を放った土井正博。プロ2年目に「18歳の4番打者」としてデビューすると、4年目の64年に28本塁打98打点に加え、168安打で最多安打を獲得するなど開花。67年に打率.323、71年には40本塁打を記録しながらもどちらも僅差の2位に終わるなど、主軸打者として活躍しながらも個人タイトルには無縁で近鉄時代は「無冠の帝王」とも呼ばれた。
西武移籍1年目の75年に本塁打王を獲得。64年から80年までの17年間で20本塁打以上を16度記録という長い活躍を見せ、通算では2452安打、465本塁打、1400打点を積み上げた。
コーチとしても清原和博や松井稼頭央ら多くの打者の大成に手を貸すなど大きな貢献をしながらも殿堂入りできていないのは、現役・コーチ時代に2度にわたって賭博事件に関与したことが原因か。
土井のほか2000本安打達成者では、阪急黄金期の中心打者として活躍した加藤英司、中日で首位打者2度の谷沢健一、「ミスターロッテ」有藤通世らも殿堂入りを果たせていない。
2000本安打未達成者を見ても、「アーチスト」の異名をとり通算474本塁打を放った田淵幸一や、生前西本幸雄監督が何度も殿堂入りを訴えたという阪急の4番打者長池徳士、通算三塁打106本(日本2位)の「ミスターフライヤーズ」毒島章一ら「野球の殿堂」に相応しい成績を残した選手が数多くいる。