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球界屈指の成績も野球殿堂入りは絶望的。清原和博と江夏豊、2人の奇妙な縁

日本球界屈指の大打者と大投手。2人は奇妙な縁でつながっている。

2016/02/15

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清原が甲子園で投手として才能を見せた日、江夏はマイナー降格

 1985年3月29日、甲子園の選抜大会では、絶対的な本命と目されていたPL学園と浜松商による1回戦が行われていた。
 PL学園はエース桑田真澄が不調で6回で降板し、二番手小林に継投。しかし8回、1死満塁のピンチを迎えると、5回にソロ本塁打(甲子園通算8号)を打ち、一塁手だった清原和博がマウンドに上がった。
 
 清原は右飛、投ゴロでピンチを切り抜けると、9回はナックルで二者連続三振に打ち取る快投を見せ、三者凡退で試合を締めくくった。投球数は18。
 2年生、17歳の清原はすでに高校野球最大のスターになっていたが、投手としても非凡な才能を見せた。
 
 同日、アメリカのミルウォーキー・ブリュワーズの春季キャンプに招待選手として参加していた江夏豊は、開幕10日後に控えてマイナー落ちを告げられた。
 キャンプを通して好調で、最後の2人に残っていたが、チームは同じ左腕の27歳のテディ・ヒゲーラを選んだ。そして江夏にマイナー契約を打診をするも、36歳の江夏は「そこまでしてやりたくない」と断り、引退を決意した。
 
 清原が野球界の超新星として輝き始めたのと同時期に、江夏は野球選手としてのキャリアを終えたのだった。

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