荒木大輔、ドラフト1位の肖像#3――「プロに行く気0%」を変えさせた、『アイスクリーム』事件
かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。
2017/10/26
入団を決意させた、松園オーナーの出馬
この頃の荒木家を巡る騒ぎについては母、梅子の著書『復活に震えた手』を引用する。
〈わが家は、こまごまとした住宅街の中に建っていますから、道も広くありません。その狭いところにずらーっと、マスコミの車が並ぶのです。ご近所の方々にも、さぞかしご迷惑をおかけしたことでしょう。
とはいっても、私たちは1歩外に出ると、取材攻勢にあってしまうので、家の中にじっとしていました。だから、親戚や知り合いの方々が様子を見に来ては電話で、
「すごいわよ。大通りまで車がつながっていたわよ」
と報告して教えてくれたのです。
しかも何かの用事があって私や主人が出かけると、取材の方は、その外出先まで、ずっと後をつけてくるのです。あれは、嫌な気持ちになったものです〉
また、日刊スポーツにはこんな記事もある。
〈ヤクルトがドラフト1位指名したとき、父親・和明さんが大喜びしたのを一部にプロ入りと受け止められ報道されて以来、荒木家は一般ファンから避難の集中砲火。「息子がいやがっているのを親がゴリ押しするのは何事か」と脅迫めいた電話や手紙が殺到し、その応対で和明さんは仕事が手につかず、梅子さんも睡眠不足でノイローゼのような状態に陥った〉(82年11月30日付)
荒木の家は何度も電話番号を替えたが、それでも嫌がらせ電話は続いたという。