「日本で重要なのは…」。元中日トニ・ブランコが語る“見る目がガラリと変わった”瞬間【インタビュー】
トニ・ブランコの名は、日本の野球ファンであれば誰もが覚えているだろう。中日ドラゴンズ時代に本塁打王、横浜DeNAベイスターズでは首位打者に輝いた強打者である。ブランコが日本球界で成功を収めた理由とは? そしていまだ現役を続ける意欲を語った。
2018/03/18
Yasumitsu Takahashi
「非常に良好だった」。落合博満監督との関係
――来日1年目(2009年)、すぐに本塁打王と打点王の2冠を獲得しました。日本での挑戦は、あなたにとってイージーなものと映りましたか?
「いや、結果は残したけど全くそんなことはなかったね。日本のピッチャーとの対戦は常にハードなもので、レベルも非常に高いと感じていたよ。当時巨人にいたアレックス・ラミレス(現DeNA監督)が”この国ではタイトルを獲ることが重要だ。タイトルを獲れば周りの見る目がガラリと変わるんだ”とアドバイスをくれた。そして事実そうなった。日本で成功したいという気持ちも強かったし、もちろん周囲のサポートも大きかった」
――日本時代の最初の監督であった落合監督との関係はどんなものでしたか?
「非常に良好だったね。よく打撃の指導もしてくれたし、それがまた的確なものであったんだ。チームが勝っても負けても、私が打とうが三振しようが、彼は常に同じだった。クレバーな人物だね」
――中日では4シーズンを過ごし、2013年にDeNAに移籍。そのシーズンで首位打者と打点を獲得しました。ホームランバッターのあなたが首位打者とは意外なイメージがありましたが、技術的に何か変化があったのですか?
「いや、技術というより気持ちの変化だね。移籍は新しいモチベーションを生み出してくれたし、中畑監督(当時)が”単打も狙ってみたらどうだ”と言ってくれた。中日時代は常にホームランを打つことばかり意識していたからね」
――試合後のお立ち台では、中日時代よりも陽気に振舞っていた印象もありますが。
「DeNA時代はとにかく勝てなかった。たまに勝った時くらい騒ぎたくなるだろう(笑)」